バグダッド・カフェと消えた町バグダット

7月半ばから8月上旬にかけて3週間、アメリカ大陸横断のロードトリップに出ていました。自宅から車で往復6700マイル、10700キロの道のり。北海道の宗谷岬から鹿児島の佐多岬までが道のり約2800キロほどのようなので、日本縦断2往復分という感じです。(日本も結構広いですね!)

行きは、まずシカゴに向かい、そこからロサンゼルスまでほぼ旧ルート66を辿って走りました。その中で、もっとも印象に残ったのが往路の最後カリフォルニアです。

果てしなく続く乾いた荒野
セドナやグランド・キャニオンなど観光地として見所の多いお隣アリゾナ州から、コロラド川を渡ってカリフォルニアに入るとすぐにNeedlesという町が川沿いにあります。ロサンゼルスまでは、そこから州間高速道路40号(I-40)を使って西に向かいBarstowという街まで行き、そこから同じく州間高速道路15号(I-15)を使ってロサンゼルスの郊外まで出るのが速いルートです。1926年に始まった旧ルート66はこうした州間高速道路の発達に伴って1985年に廃線になっています。そのかなりの部分が現在は州間高速道路や並走して走る一般道になっているのですが、カリフォルニアの東部から中部はI-40から離れたエリアを旧ルート66が走っています。私たちもNeedlesから州間高速道路から離れて北側の山の向こうを通る旧ルート66を走ることにしました。

アメリカでメジャーなlonely Planetのガイドブックによれば、この北側にはGoffという町があるはずです。また、Google Mapをみるとそこまでの間にいくつも町の名前が書かれており、集落がいくつかあるのではないか、と思っていました。

しかし、行けども行けども、集落らしきものはありません。ただ、乾いた荒野が広がっているだけでした。Goffに着くと、そこにはやっと建物があったのですが、廃墟のようで、ゴーストタウンにしか見えませんでした。Google Mapをみると、I-40の北側はネイティブ・アメリカンMojave族の保留地になっている関係で、北に抜ける道を少し行くと、Mojave Desert Heritage & Cultural Associationという機関があり、そこだけがほとんど唯一生きている場所のようでした。

Goffを過ぎるとまた南下し、Fennerという町でI-40を跨いで、今度は南側を走るとLonely Planetが「旅のハイライト」と紹介するAmboyの町に出るはずです。あいにく、工事中で思った道は通れなかったのですが、少しI-40を西に走り、別の道から旧ルート66に合流し、Amboyを目指しました。その間も、Google Mapには地名が表示されるものの、ただただ広がるMojave砂漠。

Mojavedessert

 

Amboyと地図上の”Bagdad”

絶望的なまでの砂漠を走りながら、携帯の電波も入らないし、こんなところで車が故障したらたいへんなことだなぁ、とか、ゴールドラッシュの時には西を目指す間に砂漠で命果てた人たちがたくさんいたのだろうなぁ、などと考えているうちに、Amboyに着きました。

着いたのですが、Amboyも町と呼べるようなものでは既にありませんでした。ただ、ガイドブックに乗っていた名物モーテルとそのカフェ、使えるのかどうか分からないガソリンの給油機があるだけです。

 

Amboymotel

モーテルの隣にはチェーンの貼られた廃墟があり、かつての小学校でした。もう一つだけあったのは、郵便局。アメリカの郵便局USPSはなかなかのもので、これまでもどんな小さな集落にもありましたが、もう1軒のモーテルしかなくなったここにもモーテルの向かいに郵便局がありました。

あとは、道路に残された「ルート66」のマークだけ。

Amboyroad

少し写真を撮ったあと、急ぎまた旧ルート66を進みます。外には傾き掛けた太陽と相変わらず広がる荒野。

Bagdad

iPhone上の地図に目をやるとそこは”Bagdad”という地名が見えます。町らしきものは愚か、建物の跡すらありません。

Amboyを過ぎて次の見所は旧ルート66がI-40とぶつかって並走した先にあるNewberry SpringにあるBagdad Cafeです。80年代の西ドイツ映画Bagdad Cafeの撮影が行われたカフェが今も残っているというのです。

画面上の”Bagdad”という地名を見ながら、もしかしてBagdad CafeのBagdadはこの土地からやってきたのかしら・・・などと思うものの、建物の跡すらないこのBagdad。まさか・・・。走行するうちに、次の地名はSiberia。ここにも、やはり何もない。この辺りでは、何もないところにも地名が着いたのかしら?と訝しい気持ちで進む砂漠の道。

 

沈む夕陽とBagdad Cafe

ほとんど日が沈みそうな頃、やっと私たちはBagdad Cafeにたどり着きました。閉店時間を既に過ぎ、中に入ることはできませんでしたが・・・。

Bagdadcafe2

映画と同じ住所の書かれたポストは健在で、あの建物が今も熱風の中佇んでいます。映画に出てきたモーテルは看板こそあるものの建物はなく、敷地内にゴミだらけの車があるだけ・・・。

Bagdadcafe3

bagdadcafe

沈んで行く夕陽とBagdad Cafeは今日見たゴーストタウンと荒野の集大成のようで、とても悲しい、なんとも言えない気持ちになりました。

その気持ちを胸にこの日最後の一走り。Barstowに着くと、急に大きな郊外の街が現れました。ここまでくれば海岸線まではもうすぐ。ロサンゼルスの郊外です。大型のスーパーやチェーンの飲食店、住宅が立ち並び、かなり大きな郊外の街です。

 

消えた町Bagdad

ホテルに着いて調べると、やはりあの何もない荒野のBagdadはかつて町であり、Bagdad Cafeはこの町の出来事という設定で創られた映画でした。

英語版のWikipediaによると、Bagdadの町ができたのは1883年。この地に鉄道ができたときに作られた町だそう。そして、I-40が1973年にオープンし、ルート66が廃線になるのに合わせて消えたそうです。映画Bagdad Cafeを帰宅してから見返すと、外のシーンでカフェやモーテルの後ろをトラックがたくさん走って行くのが映っていましたが、まさにあれがI-40で、あの道路ができたのと共に南側の古い道沿いにあった実際のBagdadの町は消えてしまったのでした。

「まるで、カリフォルニアでは田舎が消滅し、都市とその郊外しかなくなってしまったようだ・・・」

そんな感覚を覚えました。

砂漠だったという土地の事情もあるでしょう。しかし、同じように砂漠が広がっていたニューメキシコ州とアリゾナ州は違いました。3人に1人の子どもが貧困だというニューメキシコ州でさえ、ルート66沿いの街は寂れながらも当時の面影を残し、山奥でも地名の着いたところには集落があり、スクールバスのバス停がありました。

カリフォルニアとの州境に近いアリゾナ州のKingmanではルート66カフェが満席の大賑わいで、皆楽しそうにエルビス・プレスリーの人形と写真を撮っていました。

カリフォルニには都市型の貧困が深刻であることは知っていましたが、州全体としては内陸の州よりもう少し豊かなイメージでした。しかし、カリフォルニアに入った途端、ルート66の面影はほとんど消え、街はゴーストタウン化し、400kmほど集落らしい集落はありませんでした。かつてあった町はゴーストタウン化したり、跡形もなくなったり・・・。

もともと、カリフォルニは米墨戦争で1848年にアメリカ領になったエリアです。同時に不毛の地に見えた大地に訪れたゴールドラッシュ。多くの人が押し寄せ、ネイティブ・アメリカンの人たちをある種浄化しながら、1852年には人口は20万人を超え、カリフォルニアは州に昇格します。その後進んで行く鉄道やルート66の開通、各地に出来上がる集落。そして、それらの消滅。わずか120、30年の間に、ものすごいスピードで歴史が動いていたのがわかります。現在では、荒野の中に州間高速道路と鉄道が主に輸送網として残るばかり・・・。

同時に、進みはもっとゆっくりだけれど、日本の地方もこうなって行くのだろうか・・・と日本のこれからも思いました。

都市とその郊外に人を集中させるのは確かに経済効率の点では優れているのかもしれません。ただ、小さな離島で育ち、祖父母が最後まで島で暮らすことにこだわった姿を見てきた私には、どうしても悲しい気持ちが残ります。

消えた町Bagdadに言葉を失い、やりきれない想いだけがカリフォルニアの砂漠に吹く熱風の感触と共に残った1日でした。