ゲリーマンダリングとアルマーニの制服と
件の泰明小学校について、生徒の保護者の多くはアルマーニの制服に納得しているんじゃないか?という話がでていて、頭に’ゲリーマンダリング(Gerrymandaring)”という言葉が浮かびました。年明けから自分の中で釈然としない2つの「独立」を定義する言葉として常にある言葉で、ずっと公や国家とはなんだろうか?と考えていることになんだかこの制服問題がつながっている気がしたのです。
ちょっと遠回りになりますが、このゲリーマンダリングと、2つの「独立」について紹介したいと思います。
1つはある若い白人女性と話していた時でした。正確な裏付けがちゃんとできないので、仮にA市としておきますが、彼女は小さな市ながら、所得階層が高く、公教育に定評のあるそのA市で生まれ育ちました。数十年前に隣接するB群から独立した市だというような話の中で、私は何気なく彼女に「どうして独立したの?」と訪ねました。彼女は、苦笑しながら「ゲリーマンダリングじゃない?」と答えました。ゲリーマンダリングとは、特定の政党や政治家、人種・民族等に有利なように選挙の区割りをすることだそうです。このゲリーマンダリングの結果、A市にはアフリカ系(黒人)アメリカ人の居住地区がほとんど無くなったそうです。白人層に有利な区割りになったという訳です。現在のA市の豊かさを見るに、裕福な白人たちが自分達だけで独立した様にすら見えます。教育という観点で言えば、アメリカの公教育は地域ごとに大きな格差があり、豊かな地域ほど水準が高くなり、より裕福な人が高い教育水準を求めて集まります。逆に、貧しい地域の公教育の水準は低くなります。A市の公教育の高さは、こうしたゲリーマンダリングにもよるのかもしれないと思うと。私には、釈然としない想いが残りました。
そのすぐ後のこと、2人のスペイン人の友人とカタルーニャ独立について話をしました。一人は当のカタルーニャ地方の中心都市・バルセロナからきています。もう一人はバスク地方の出身です。バスク出身の彼女は独立運動とテロリズムはもうたくさんだと語ると同時にカタルーニャにはスペインに残ってほしいと言います。。バルセロナからきた彼女は、カタルーニャはスペインでも豊かな地域であり、独立派の人たちは、貧しいほかの地域のために税金を払いたくないのだと言います。二人とも、本国で独立反対なんて言えない空気だし、選挙妨害もあるし、小さな町や村になれば命に関わるから、議論ができないのよ、と付け加えながら。私の頭には、「裕福なエリアだけで独立するって、究極のゲリーマンダリング?」と釈然としない想いが残りました。
今回のアルマーニの制服の一件について、この地域の特殊性や、特任校であるのだから、という説明や、多くの保護者はわざわざこの学校を選んできており、この程度の価格であれば出せる家庭がほとんどだ、というような話を聞くに、なんだかいったい公や公教育とはなんなのだろうか?と、A市やカタルーニャの独立の話を聴いた時の釈然としない想いが重なります。はっきりと独立しているわけではないけれど、公教育が、あるいは公共政策が、暗黙に中下層を排除し、裕福な層だけを対象にしていくことの意味をもっと考えた方が良いように感じました。
裕福な人たちだけで「独立」すれば、その地域の人たちは納得でしょう。他地域の人の意見や、少数派の意見は切り捨てたり、排除したりして、自分たちに有利な形で「ゲリーマンダリング」していけばいいのです。格差が進む世界の中で、うかうかしていると、合法的に排除が進んでいくような、そんな怖さを感じています。