ぴっかりカフェの予防効果に関する仮説(前編)

税金や皆さんの寄付金を用いて支援活動を行っている団体として、常に「支援効果」を明示することが求められています。それは、大切なことですが、ぴっかりカフェのような取り組みでは、「何人就職しました!」というだけでは効果が測れない感じもし、「そもそもいったい何が効果なのか?」という入り口でつまずいてしまうこともしばしば…。よく若者支援では、高校生から支援を始めるのは「予防」と言われますし、ぴっかりカフェは「予防」的支援であることは確かです。しかし、高校生への支援の「予防効果」って具体的にはどんなものなのでしょうか?

これまで地域の民間支援団体として、SSWとして、関わった高等学校数がかなり多くなってきましたので、学校間の比較を通して高校における「予防」概念の整理し、ぴっかりカフェの「予防効果」に関する仮説を考えてみたいと思います。

まずは前編として、学校における予防概念の整理をしたいと思います(*このようなことは既に学校臨床領域で整理してくださっている方がいらっしゃるように思いますので、こんな論文や書籍があるよ、というのがあればご紹介ください)。「予防」という言葉はかなり多義的な言葉で、若者支援や困窮者支援の現場でも、しばしば人によって微妙に異なる意味合いで使われているのを目にします。ここで、最初に私が専門にしている心理学や公衆衛生の分野で言われる予防の類型を整理してみましょう。(ごくオーソドックスなGerald Caplanの予防概念の整理のご紹介です)

(1)第一次予防
健康な人を健康なままに保つことに狙いを定める予防活動。
リスク要因をターゲットにする方法と、すべての人をターゲットに保護要因をターゲットにして健康を増進する方法の二つがあると言われます。

(2)第二次予防
早期発見、早期介入により、問題を「つぼみのうちに摘み取る」ことを目的とする活動。

(3)第三次予防
既に問題を持って機能できない状態になっている人を対象に、今以上の障害や社会的不利益を被るのを防ぎ、できる限り正常な状態に戻ることを目的とする活動。

さて、ここで学校現場に戻って考えてみると、医療モデルの予防概念とは異なる部分もありますが、状況を整理する拠り所としてはかなり使えそうな気がします。

 

(1)高校における第一次予防

これには二つの方向性があります。

一つはリスク要因をターゲットにする方向性です。高校教育全体で見れば、定時制高校や通信制高校、全日制でも学力下位校は困難を抱えた生徒が多く在籍しやすくなっており、こうした学校に重点的に教員やSSWのような職員を配置したり、少人数学級を導入したり、カリキュラムに自由度を持たせて生徒の進路に合わせた力がつけられるようにしていく、地域の福祉や就労支援の専門機関との連携を強化しさまざまな取り組みを行う等の工夫をすることがあるでしょう。また、一つの学校内でも、全生徒の家庭状況をある程度把握し、その中でリスクを抱える生徒にはそのリスクが生活や進路上の問題とならないよう、支援を手厚くしていく方法があるでしょう。

もう一つはすべての学校、生徒をターゲットに、教育全体を充実させていく方法です。こうした方向性は支援を受ける側へのスティグマを生まず、また現在は若者全体がさまざまな意味でリスクを負っている状態でもあるので、望ましい方向性のように思います。また長い目で見れば、若者全体が社会の中で力を発揮できる状況にすることは、社会全体にとって大きな力となっていくはずです。

 

(2)高校における第二次予防

課題を抱えて問題が出始めた生徒を早くキャッチし、問題が重篤にならないようにに学校として、あるいは地域と手を結んで、早期に生徒や保護者を支援できるか、という活動になろうかと思います。ここでは接する教職員の「危険察知能力」というか「感度」のようなものが求められますし、キャッチした課題を学内で全体化し、対応する学内体制や、学校が地域にいかに開かれているか、受け入れる地域の行政や専門機関が課題が小さいうちに動く「予防意識」をどれだけ持っているか、といった複層的な要因に成否が左右されます。

いろいろな学校や生徒を見ていると、こと生活困窮問題について言えば、これまで教職員の「危険察知能力」「感度」は残念ながら高くなかったように思います。というのも、学校の教職員が歩んできた人生と、貧困世帯の子どもたちの暮らしがあまりにかけ離れているからか、危険サインを危険と受け取れないからです。例えば、学校に来られないとか、昼間にお菓子を食べているとか、必要な支払いが延滞しているといったような問題が、背景にある家庭の貧困の問題のサインとしてではなく、本人や保護者のやる気や成長度合い、モラルといった問題と捉えられてしまったりするからです。

また、だれか先生が気づいてはいるけれど、学内組織の体制が整わずどうしていいかわからなかったり、一緒に考えてくれて取り組んでくれる雰囲気がなく言い出せないままになってしまう状況も学校によってはあるようです。

受け入れる地域の問題については先日記事を書いておりますので、詳しくはそちらをご参照いただければと思います。(鈴木晶子の困窮者支援日記:閉鎖的なのは学校なのか、地域なのか?

 

(3)高校における第三次予防

問題が重篤化してしまった生徒に対して、学校としてこれ以上問題が大きくならないよう働きかけていく活動です。第二次予防と同様、この成否は学校の支援への考え方、体制、地域の受け入れ状況等に左右されると思いますし、第二次予防以上に生徒に向き合う姿勢や支援力が求められます。

若者支援で問題となる中退とその後については、第二次予防の体制が整っていないと厳しくなるように感じています。高校では出席日数を一定以上満たす必要がありますし、状況がこじれてからでは生徒への指導も入りにくくなるからです。欠席日数がかさんで進級が難しいことが明らかになった時には、学校との関係も希薄、あるいは悪くなっており、地域の資源にもつながりにくい状態になっていることが、残念ながらこれまでの私たちの経験でも多々あります。ここの最後の予防線が機能しないと、社会生活も支援も決定的に難しくなってしまうのが若者の実情です。

 

以上、これまで多くの学校と関わったり、学校関係者との交流の中で感じてきたことと照らして、ざっくりと高校における予防概念ということで整理してみました。後編では、ぴっかりカフェとこれらの予防概念について、これまでの活動を元に関係性を整理していきたいと思います。